日本災害復興学会2015年東京大会エクスカーション案内

~大会会場周辺でみる『関東大震災』と『帝都復興』の現場~



1 1923年関東地震の発生と引き続く被害の現場
1.1神田 共立女子職業学校寄宿舎
住所:〒101-0051 東京都千代田区神田神保町3丁目27付近
同校は「東京の学校のなかでもっとも多くの犠牲者を出し,最大の被害があ」り,教師や生徒などが震害によって倒壊した学校施設に閉じ込められたまま亡くなり,「死亡者は七四名にのぼった」 .山口県在住の遺族が「共立地蔵菩薩」の建立を企図し,1924年1月1日,地蔵菩薩堂内に74名の名前を掲げ,3月1日には地蔵菩薩の開眼法要が営まれたという(図1-1) .

図1-1「共立地蔵菩薩」建立関係書類 (大正十二年九月一日帝都震災之際東京市神田区一ツ橋共立女子職業学校寄宿舎遭難者名録【大正十三年一月一日マデ精査一名追加】(田中蔵))
1.2御茶ノ水駅付近の河道閉塞
住所:〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台2丁目3-10,または,〒113-0033 東京都文京区本郷3丁目1附近地先(神田川沿い,南側)
JR東日本・御茶ノ水駅附近では現在,4年の工期で神田川沿いの中央線盛土部を「地山補強土工法」によって補強する工事が行われているが,関東大震災ではこの一帯が大規模に崩壊し,河道閉塞が生じた(図1-2).

図1-2御茶ノ水駅付近の河道閉塞 (出典:香月鍈一編(1924),大正十二年九月 大正震災写真集 関東戒厳指令部,偕行社刊,頁番号なし)
1.3上野広小路の避難民
住所:〒110-0007 東京都台東区上野公園1-60(写真は南向きに撮影されている)
関東大震災では火災が同時多発的に発生し,その炎から逃れるべく,ひとびとは避難したが,避難民が火の手に追われるうちにひとところに滞留してしまう事態が発生した.図1-3は避難民が上野広小路から上野公園の黒門口広場にかけての一帯を埋め尽くした状況を伝えている.
この状態を炎が襲っていたら,本所区の被服廠跡と同様の悲劇が起きたかも知れない.一帯の道路幅員や公園範囲は撮影時と変わらないので,比較して頂きたい.

図1-3上野広小路の避難民 (出典:大阪毎日新聞社編(1923),関東大震災画報第一輯,大阪毎日新聞社刊,頁番号なし)
1.4本所 陸軍被服廠跡
住所:〒130-0015 東京都墨田区横網2丁目3-25付近
旧本所区の陸軍被服廠跡とは被服廠(軍服を製造する工場)の移転後,公園予定地として位置づけられていた大きな空地で,そこに複数の火の手に追われた多数の避難民が押し寄せ,この空き地一箇所で3万数千人という犠牲者を出す大惨事を引き起こした場所である. 『東京震災記念事業協会設立趣意書及寄附行為』によれば,同協会は「...全市中最モ惨禍ヲ極メタル本所区横網町陸軍被服廠跡ニ記念堂ヲ建設シ附近一帯ヲ森厳ナル公園ト為シ以テ犠牲者ヲ永久ニ追弔スルト共ニ一面社会教化ノ機関ニ充テ不言ノ警告ヲ百世ニ垂レト企図ス」るために設立され(図1-4-1),震災記念堂(現,東京都慰霊堂)は身元不明者の焼骨を発見場所ごとに容器に収めて,保管している(図1-4-2).また,附属の震災復興記念館には災害記念物,油絵,一次資料(避難者のリスト,小学校生徒への聞き取り調査,生徒による感想文など)が展示されている.

図1-4-1東京震災記念事業協会設立趣意書 (出典:財団法人 東京震災記念事業協会設立趣意書(田中蔵))

図1-4-2 『東京震災記念堂設計図』 (出典:財団法人 東京震災記念事業協会設立趣意書(田中蔵))
1.5京橋 数寄屋橋畔 震災慰霊碑
住所: 〒104-0061 東京都中央区銀座4丁目1付近
かつて数寄屋橋畔には東京朝日新聞社の社屋が建っていた(現,有楽町マリオン).その東京朝日新聞社の肝煎で建てられた『震災慰霊碑』である.兜をかぶった『平和の神』が獅子を従えて松明を掲げている.像は長崎の平和祈念像と同じ北村西望の制作.

図1-5 震災慰霊碑 (出典:田中撮影)
1.6神田 湯島聖堂,神田明神の焼失
住所: 〒113-0034 東京都文京区湯島1丁目4(湯島聖堂)
〒101-0021 東京都千代田区外神田2丁目16-2(神田明神(神田神社))
湯島聖堂には当時,江戸後期に建設された建物を使って『東京教育博物館』が開設されていたが,建物,収蔵品ともにほぼ全焼した(門のみ,残存,昭和初期に鉄筋コンクリート造で再建)(図1-6).神田明神も同様に,江戸後期に建設された諸殿が焼失した(銅板の貼られた鳥居も足を残して失われた.こちらも昭和初期に鉄筋コンクリート造で再建).
東京帝国大学や諸官庁が所蔵していた古文書類,公設・私設美術館,華族,富豪,美術愛好家などが所蔵していた書画骨董も悉く灰燼に帰した(失われた数多くの品々については『文学士大森金五郎特輯 中央史談 大震災復興一周年記念 文献の喪失 文化の破壊』,1924年9月号に詳しい)

図1-6湯島聖堂全景 (出典:東京教育博物館(1915),東京教育博物館一覧,挿絵)
参考資料
共立女子学園百年史編纂委員会編(1986),『共立女子学園百年史』,p.292. 資料名:大正十二年九月一日帝都震災之際東京市神田区一ツ橋共立女子職業学校寄宿舎遭難者名録【大正十三年一月一日マデ精査一名追加】(田中蔵)