日本災害復興学会2015年東京大会エクスカーション案内

~大会会場周辺でみる『関東大震災』と『帝都復興』の現場~



4 建築物の復旧・復興の現場
4.1神田 万世橋駅舎跡
住所:〒101-0041 東京都千代田区神田須田町1丁目25、現、JR神田万世橋ビル・マーチエキュート神田万世橋付近
鉄道院が中央線のターミナル駅として1912年に開業した旧万世橋駅は、現在のJR神田万世橋ビル・マーチエキュート神田万世橋の位置にあったが、震火災によって全焼した後、屋根を架けて仮復旧・再開業した(図4-1-1、図4-1-2)。
この仮復旧した二代目の駅舎の地上部分はやがて撤去され、その基礎をそのまま転用した三代目駅舎が1936年に竣工した。このため、三代目駅舎は外観こそ全く異なるのに、半円形の階段室が初代駅舎(二代目駅舎)の隅塔を引き継ぐ位置に見えている(図4-1-3。隅塔は図4-1-1〜4-1-3の矢印部分)。
こうした段階的な再建は大規模建築に限って観察される訳でもない。帝都復興はいちどきに再建をおこなうのではなく、被災した建物を仮復旧したり、それらを部分的に取り込みながら工期を分けて、時間をかけて新たな建物を完成させたりしていた。今日であれば、「復興がみえない」「復興が遅い」と指摘(非難)される状況かも知れない。

図4-1-1震災前の万世橋駅舎(初代) (出典:田中蔵絵はがき)

図4-1-2震災後の万世橋駅舎(二代目) (出典:田中蔵絵はがき)

図4-1-3取り壊し直前の旧万世橋駅舎(三代目) (出典:田中撮影)
4.2神田 神保町一帯
帝都復興が目指した目標のひとつは大規模な火災発生の抑止(火災の延焼防止)であり、その手段は3.4で記した公共施設(広幅員道路や大・小公園)の設置や一般の建築群を不燃化することであった。
後者については、規模が大きい、あるいは不特定多数が利用する建築物の不燃化や、特定の街区や道路沿いに位置する建築物を不燃化することで実現が図られた。大会会場付近では、例えば靖国通り(かつての大正通り、復興市街地を東西に走る動脈)の沿道奥行き6間(10.8m)に位置する建築物の不燃化(外壁や屋根の不燃化が最低限の義務、その他規模や階数に応じて不燃化する部位が増える)が計画された。これを甲種防火地区と呼ぶ。
一誠堂書店はこの甲種防火地区の規制に則って実現した不燃建築であるが、その近傍には木造2階建て(一見、3階建てにみえるものを含む)が何棟か散見される。これらは資金の不足その他の理由によって不燃建築への建て替えが実現しないまま、90年近くが経過した建築物である。
法律違反が例外的に認められている状態が長く続くと、遵法精神の低下を招くが、他方、区画整理の施行によって道路が拡幅・新設されたこともあり、延焼遮断の実現のために全ての建築物を不燃化させる必要性も低下していたと考えられる。これがなし崩し的な現状容認が続いた背景と考えられる。

図4-2-1一誠堂書店 (出典:田中撮影)

図4-2-2靖国通り沿道の木造建築 (出典:田中撮影)